ご し ゃ ご ん げ ん み こ し
五 社 権 現 神 輿
かつて石動山は五社権現と呼ばれ、五基の神輿があったと伝えられています。現在、石動山にある伊須流岐比古神社拝殿は、当時これらの神輿を納めた神輿堂(権現堂ともよばれ石川県指定文化財)でした。
今からおよそ七百年前、鎌倉時代の永仁三年(1295)、石動山の衆徒や神官たちが、五社の神輿の造り替えを朝廷に奏申した記録が残っており、その由来は極めて古いことが知られます。
ところが明治の石動山瓦解により、これらはことごとく売却され、現在は鹿島町最勝講の天神社と、内浦町行延の柿尾神社の二基しか残されていません。
石動山資料館に展示しているものは、明治八年(1875)、当時の最勝講村が鎮守の天神社神輿として、石動山から26円53銭で買い取り、以来、区民の誇りとして守り伝えてきたものです。銘によれば江戸時代の安永五年(1776)に制作し、安政四年(1857)に修理を施したことがしられます。
いずれにしても、長い歴史をもつ石動山の祭礼に、大きな役割をはたした極めて貴重な歴史資料と言えます。